SPECIAL

0→1
ストーリー
新たな挑戦を始めた
三人の社員の物語

0→1 STORY

0→1 STORY

金成 雄文
当時:マネージメント第二事業部(入社9年目)
現在:ホリプロインターナショナル取締役
STORY 01
声優アーティスト
オーディションを開催。
後に、アーティスト・
声優部門の一部を分離し、
新会社として発足させる

ビジネスの種

ノンバーバルの
日本アニメで世界へ
ノンバーバルの
日本アニメで世界へ

金成が「このままでは50年後にホリプロは生き残れないのでは」と感じたのは2010年、山瀬まみやAKB48を担当していた頃だった。ホリプロは老舗の看板を背負い日本の芸能業界で大きな存在感を示している。だが、世界の市場で戦えるようにならなければ未来はない。海外進出はウィークポイントだ。

そこで彼が注目したのがアニメである。ノンバーバルのコミュニケーションであるアニメなら世界に通用する。金成が「アニメの持つ底知れぬパワー」を体感したのは、2010年1月のことだった。大人気アニメ『マクロスF』のシェリル・ノーム役の歌を担当したホリプロ所属の歌手May’nの武道館ライブで、アニメ×音楽の持つ吸引力とファンの熱狂に圧倒されたのだ。物語と紐付くことで音楽はここまでの熱量を発する。さらにその熱狂の根底にあるもう一つの要素が「声優」の存在だとも思った。
これが「アニメで世界進出を」と考えた金成の原風景となる。

彼は新しいムーブメントへの嗅覚が鋭く未知の領域に挑戦することに喜びを覚える性格だ。AKB48に新しい文化の訪れを察知していち早く動いたのも金成である。アニメもAKB48と同じようにホリプロにとっては未踏の地だが、目の前の壁が高ければ高いほど、闘争心を奮い立たせる。

立ち塞がる壁

ぬののふくとひのきのぼうで
ラスボスに立ち向かう
ぬののふくとひのきのぼうで
ひのきのぼうで ラスボスに立ち向かう

ホリプロがアニメに挑戦することは、無謀に等しい。金成が子ども時代に熱中したドラクエ3でいえば、初期装備でラスボスに挑むようなものだ。

まずアニメ製作はその人脈・ノウハウ・知見のなさから考慮するとまず不可能だった。そこで改めて着目したのが声優である。声優はアニメの中で大きな役割を果たす。とはいえいきなり「声優をマネジメントしたい」と主張したところで、社内では誰も耳を貸さない。そこでホリプロ内でアニメや声優が好きな人や興味のある人を集めて定期的に勉強会を始めた。しかしホリプロには声優マネージメントのノウハウも全くなかったので、ゼロから原石を探して、新人声優と一緒にマネージャーも勉強していくしかないと考えた。それが「ホリプロタレントスカウトキャラバン」に繋がる。スカウトキャラバンで声優に特化したオーディションを開催し、ホリプロのアニメ・声優への取り組みを後戻りできないところまで押し出そうという目論見だ。そして、ホリプロ社員が基本的には在籍中に一度しか経験できない委員長の座を勝ち取った。声優オーディション企画は社内でまったく稟議が通らなかったが社長との会話中で、半ば無理矢理了承を得る。

ここでようやく一歩を踏み出したと言えよう。だがマップがないダンジョンに足を踏み入れたに過ぎない。そもそも金成はアニメ・声優通ではない。アニメ・声優業界について学ぶために、業界地図をインプットし、レコード会社、音響制作会社、声優事務所、専門学校、アニメ制作プロダクションや出版社、TV局、ラジオ局等を行脚してパイプ作りに励む。これまで芸能で培ったパイプはほぼ使えなかった。

ホリプロ未踏の地であるアニメ・声優業界の防壁は、想像以上に堅固である。さらに当時はアニメや声優の存在が今ほど市民権を得ていない。
金成の挨拶回りはアニメ・声優業界をざわつかせ「敵機襲来」とみなされた。アニメ業界と芸能界は別世界だ。これまではありがたかったホリプロの看板が金成の行く手に立ちはだかる。一番辛かったのはこの頃だったと金成は語る。ホリプロ、いや金成の本気度を伝えるために靴底をすり減らした。そして熱意は伝わり徐々に協力者が増えてくる。

奮闘の甲斐もあり、ホリプロ初の試み「第36回ホリプロタレントスカウトキャラバン~次世代声優アーティストオーディション~」には総勢1万通以上の応募が殺到。大盛況のうちに幕を閉じた。今もファイナリスト10名のうち5名がホリプログループに在籍している。

現在〜未来へ

海外進出の夢を
実現するための挑戦は続く
海外進出の夢を
実現するための挑戦は続く
挑戦は続く

「声優マネージメント初心者の自分達と一緒にゼロからここまで歩んできてくれた声優の子達は計り知れない苦労をしてきたと思うし、とてつもなく感謝をしている。」と金成はいう。声優は一朝一夕では育たない。実力がすべてのオーディション勝負だ。
当初の目標の一つだった海外進出の夢はまだ半ばだ。コンテンツや人材を海外に発信するレベルには達していない。
とはいえ10年間足踏みをしていたわけではない。金成は、声優・アーティストを主軸として世界で活躍するアーティストの発掘・育成やコンテンツの創出を目的に設立されたホリプロインターナショナルの取締役に就任。ホリプロがアニメ・声優業界に根ざすべく地道に取り組んできた。現在所属している声優は12人。アニメや外画・コンテンツIPの主役を張れる声優も出てきている。

声優のみならずアーティストやコスプレイヤーのマネジメントにも注力してきた。アニメの制作委員会への出資窓口も務め、IP開発にも関わる。表に出せないプロジェクトが常に10個ほど同時進行しているという。もっともっとやれることがあると、彼は目を輝かせる。「声優やアニメだけでなく、ホリプロにないもの、ブルーオーシャンを探し続けている」と語る金成の熱量は10年前よりも増している。金成の次の一手から目が離せない。

ABOUT

「ホリプロタレント
スカウトキャラバン
次世代声優アーティスト
オーディション」

榊原郁恵、深田恭子、綾瀬はるか、石原さとみら錚々たるメンバーを輩出したホリプロ伝統のオーディション。2011年の第36回大会は「次世代声優アーティストオーディション」と銘打ち、開催された。

梶山 裕三
当時:公演事業部(入社6年目)
現在:公演事業本部 部長
STORY 02
国境を越えて
熱風を巻き起こす“デスミュ”
日本オリジナルミュージカル
『デスノート』への挑戦

ビジネスの種

ミュージカルの輸入企業から
輸出企業を目指して
ミュージカルの
輸入企業から
輸出企業を目指して

日本のみならず世界中に熱狂的なファンを持つコンテンツ『デスノート』。そして日本発ミュージカルとして海外公演をも成功させた“デスミュ”。漫画、映画とファンを魅了した『デスノート』は2.5次元でも世界中の人々の心を掴んだ。

『デスノート』をミュージカル化しようと言い出したのは当時入社6年目の梶山である。ホリプロの社長 堀が「輸入コンテンツではないミュージカルの企画を考えよう」とアイディアを募ったところ、同様の危機感を抱いていた梶山が手を挙げたのだ。

堀は「少子化が進みマーケットは縮小する一方の日本の演劇界と、海外作品にライセンス料を支払いコンテンツを輸入するホリプロの現状」を懸念していた。梶山自身は「他の誰かが作った作品ではなく、自分の作品を自分の手で作りたい。ゆくゆくは海外に進出できる作品に育てたい」という野望を胸に秘めていた。ふたりの思惑が一致したこのとき、『デスノートTHE MUSICAL』の種がこの世に送り出されたといってもいいだろう。

梶山がデスノートを題材に選んだ理由をこう語る。「日本では欧米ほどミュージカルが身近ではないので、日常の生活のなかに突然歌が入ってくると違和感を覚えやすい。でも、『デスノート』には「名前を書くと人が死ぬノート」という、“IF”(もしも~だったらという設定)が織り交ぜられている。この“IF”が日本人が抱く歌や踊りへの高い壁を低くし、純粋にミュージカル作品として楽しんでもらえるのではないか」。

立ち塞がる壁

ぶつかるプライド、
投げられる石つぶて
ぶつかるプライド、
投げられる石つぶて

『デスノートTHE MUSICAL』実現までのロードマップは平坦ではなかった。ひとつ壁を乗り越えたらさらに高い壁が立ちはだかる。最初の壁は出版社だった。もともとホリプロは映画『デスノート』の製作委員会に参加していたので、出版社へのミュージカル化の許可取りはスムーズにいくと思えたが、実際には簡単ではなかった。問題になったのは、チケットの設定金額だ。「週刊誌の読者にも手軽に買える金額設定にして欲しい」という権利元と、世界基準の舞台を作ろうとするホリプロの提案金額には、かなり開きがあった。しかし、梶山は諦めない。ホリプロが過去に作ってきた高水準の舞台作品の映像資料をプレゼンし、世界のミュージカルのチケット金額相場を説明したうえで、「『デスノート』はこれまで以上に予算をかけて、世界に輸出できるようなクオリティにしたい」という熱い想いを何度にも渡り説明を続けた結果、ようやく「ホリプロさんの本気はわかりました」と了承が得られた。

ホリプロの本気は作曲家と演出家、そしてキャスティングにも表れている。作曲家には『ジキル&ハイド』などのヒット作を持つ世界的作曲家のフランク・ワイルドホーン氏、演出家には日本演劇界の巨匠 栗山民也氏を起用した。演者には日本のミュージカル界を代表するスターたちをキャスティングしたのだ。

しかし制作側の意気込みに反して、SNSを賑わせたのはホリプロに対する批判だった。
「ホリプロ、血迷ったか」「また『デスノート』で金儲けするつもりか?」などなど。しかし、批判が大きければ大きいほど、「絶対に作品を成功させる。」という梶山の想いはますます強まり、作品の本格感を伝えるため、自ら「ミスターりんご」というハンドルネームで、日々ツイッターで稽古場の様子を発信し続け、作品の成功を信じた。

いよいよ公演初日。チケットはまだ完売していない。しかし、舞台が開幕するとその評判が瞬く間に広がり、前評判が嘘だったようにSNS上には絶賛する声があふれ、瞬く間にチケットは完売した。ミュージカルファンだけでなく、普段、劇場に足を運ぶことがない原作ファンの男性、そして海外からの留学生もたくさん詰めかけ、新しい顧客を劇場に集めることに成功したのだ。「良いものを作れば必ずお客様は集まる」と自分に言い聞かせながら骨身を削った梶山の苦労が報われた瞬間である。

現在〜未来へ

『デスノートTHE MUSICAL』が
ドーバー海峡を渡る日まで
『デスノートTHE MUSICAL』が
ドーバー海峡を渡る日まで

『デスノートTHE MUSICAL』は、日本公演が開幕した2か月後に、韓国キャストによる韓国公演を実現。ホリプロとして初の海外へのライセンス公演となった。その後、2017年には日本人キャストによる台湾ツアー公演を、2021年にはモスクワにてロシア人キャストによるコンサートバージョンを上演するなど、少しずつ世界への輸出を進めている。「社長は『どれだけ時間がかかっても、いつか必ずドーバー海峡を越えるんだ』と言って作品が海外へ進出するのを応援してくださっている。いつかこの作品がロンドンのウエストエンドやブロードウェイで上演され、世界中の方に知ってもらえるようになるまで、成長させたい」と梶山は力強く語る。デスノートに続くオリジナル作品として手掛けたミュージカル『生きる』など、オリジナルミュージカルを世界へ輸出するという梶山の挑戦は、まだまだ始まったばかりである。

ABOUT

『デスノート THE MUSICAL』

全世界累計発行部数3000万部を超える大人気漫画『DEATH NOTE』を原作に製作され、2015年に初上演されたミュージカル。音楽は本場ブロードウェイの作曲家 フランク・ワイルドホーン氏が手掛け、音楽スーパーバイザーにはジェイソン・ハウランド氏、そして演出は日本演劇界の巨匠 栗山民也氏を迎え、世界的クリエイター陣のコラボレーションにより誕生。日本ミュージカル界に漫画原作×ブロードウェイミュージカルという革命を起こした。

白石 哲也
当時:プロダクション1部 副部長(入社18年目)
現在:プロダクション1部 副部長
STORY 03
第45回ホリプロ
タレントスカウトキャラバン
実行委員長として
全権を託され、
ピュアな原石を発掘、
育成を担う

ビジネスの種

若年層のタレントを
見つけ出す必要がある
若年層のタレントを
見つけ出す必要がある

ホリプロには若年層のタレントが不足しているのではないか ───。マネージャー歴18年になる白石が近年感じていた課題意識である。タレントとの縁を大切にし、一度所属すると長くマネージメントするホリプロは、タレントの所属数をむやみに増やさない。それが影響してか、若年層のタレントの数はそこまで多くない状況にあった。そんな白石に、自らこの問題を解決するチャンスが巡ってきた。新人発掘のためのオーディション「ホリプロタレントスカウトキャラバン(TSC)」の実行委員長に担うことになったのである。

おおむね年1回開催されるこのイベントは、各部署から20代の若手を中心に精鋭が集められ、20数人でプロジェクトチームを組む。実行委員長は全権を託され、開催方法からグランプリの決定まで、すべての最終決定権を持つ。

白石の原点は中学生の時、ラジオの深夜放送で、芸能界の裏舞台で活躍するマネージャーの話を聞き、興味を持ったことにある。その後、古書店で見つけた1冊の本『ホリプロの法則』(メディアファクトリー刊)にも感銘を受け、ホリプロでマネージャーになることを目指し、入社に至った。新人時代は寝過ごして遅刻など失敗談も少なからずあったが、石原さとみ、綾瀬はるかなど、ホリプロの売れっ子タレントを担当してきた。マネージャーとして実績を積んできた白石にとって、次の目標は「スターの原石を見つけること」。それと同時に、かねてから課題意識を持っていた若年層のタレントを自ら発掘するチャンスが巡ってきたことに白石は奮い立った。

立ち塞がる壁

同業他社と熾烈な競争
志望者の意識変化にも対応
同業他社と熾烈な競争
志望者の意識変化にも対応

白石は、TSCのテーマを「ピュアガール ピュアボーイ」とし、応募年齢を8歳からに定め、小中学生からの応募を歓迎することにした。

だが、TSCを成功に導くには、いくつかの壁があった。一つは、同業他社との熾烈な競争である。同時期にオーディションを開催する同業他社が多数あり、日々スカウト合戦は繰り広げられている。芸能プロダクションに所属する間口はかつてよりも広がっていると言っても過言ではない。また、テレビや映画、舞台で活躍したいというよりは、SNS上のインフルエンサーになりたいと考える人も増えている。そんな中、TSCに応募してもらわなければ話にならないのである。

まずは、応募へのハードルを下げる工夫をした。それまでのTSCは選考過程そのものを公開することが多かったが、白石は選考過程を完全非公開とすることに決めた。オーディションに興味があっても、応募していることを人に知られたくない場合は、応募をためらう。それに、応募の事実が日常生活や将来に与える影響に不安を抱く親御さんもいるに違いない。本人だけなくご家族も含め、応募に躊躇する理由を排除する必要があると考えたのだ。さらに、インフルエンサーなど、様々な媒体での活動に関心のある若年層を意識して、俳優やバラエティタレントとしての活躍以外をイメージできる言葉を用い、間口を広げた。

告知方法にもこだわった。オーディションの顔となるメインビジュアルは、若者への訴求を意識し、若手社員の意見を採用。人気イラストレーター・サンレモ氏に依頼し、所属タレントの写真ではなくイラストを起用した。また、SNS上の告知にも力をいれた。ホリプロの公式Instagramには、TSC出身タレントのメッセージ動画を、TikTokには、タレントのホリプロ所属への軌跡を描いた動画を掲載するなど積極的に仕掛けた。それ以外にも、フードコートに足を運び、対象となる親子連れを見つけてはチラシを渡し、オーディションへの応募を呼びかけるなど、地道な活動にも力を入れた。あの手この手で募集をかけていったのである。

審査では全国8カ所を転々としながら3次選考まで行い約50人に絞った。そこから2泊3日の合宿参加者20人を選んだ。合宿では講師のレッスンを通じて、性格や成長力を見極める。そこで10人を選んで最終選考へ。白石は合宿で光るものを感じた小学5年生(当時)の女の子をグランプリに推した。開催回によっては、実行委員長とメンバーの間で意見が割れることもある。だが、今回は満場一致で決まるほどの逸材であった。2023年3月、小田愛結(おだ・あゆ)のデビューを発表。白石がイメージしていた通りのピュアガールをTSCのグランプリとして輩出したのである。

現在〜未来へ

育成の責任を果たしながら
新たなオーディションの
形を探る
育成の責任を果たしながら
新たなオーディションの
形を探る

今回のオーディションでは、グランプリとなった小田愛結のほかに、7人を所属タレントとして迎え入れた。結果的に、「スターの原石を見つける」「若年層の所属タレントを増やす」という2つの目標を達成することができた。

しかしながら、オーディションは才能ある原石と出会うための手段であり、最終目的ではない。選ばれたタレントたちもホリプロも、スタートラインについたに過ぎないのだ。原石をどう磨き、輝かせていくのか。白石の手腕にかかっている。

一方、タレントのご家族に対する責任もある。ホリプロの強みは、「創業者・先輩が培ってくれた安心、信頼のブランド力にある」と白石は言う。ホリプロだから応募したという家族は多い。グランプリに輝いた小田愛結も、同業他社のオーディションを受けていない。信頼に応えるために、育成には大きな責任も伴っているのだ。

新人タレントを育成する傍ら、白石は次の新人発掘オーディションを見据えている。「ホリプロの歴史ある伝統を守りつつ、SNSやゲームなど、若者が関心を持つコンテンツも使いながら、新しい形のオーディションを模索していきたい。」白石の挑戦はこれからも続く。

ABOUT

第45回ホリプロタレント
スカウトキャラバン

伝統あるオーディションだが、毎回のテーマや実施方法は実行委員長の権限で決めている。第45回は「ピュアガール、ピュアボーイ」をテーマに、2002年~2013年生まれの男女を募集するオーディションを完全非公開で実施した。とくに募集のジャンルを設けず、才能ある人に幅広く応募してもらうことを重視した。