CULTURE/WORKING STYLE
ホリプロで
描くキャリア
About Career
About Career
プロフェッショナルとして
必要な視座やスキルは、常に変化しています。
社会人として必要な
基礎スキルはもちろんのこと、
時勢に応じ、社員それぞれの能力が
最大限発揮されることを目指して
様々な研修を実施しています。
入社前研修
エンタメへの見識を深め、表現力を養うためのオリジナルプログラムに取り組んでいただきます。また、当社のイベント等に参加していただき、先輩社員とのコミュニケーションを図ると共に、当社の事業に対する理解を深めていただきます。
新入社員研修
入社後約1か月間は新入社員研修を行います。
まず、社会人として必要なビジネスマナー、基本的なビジネススキル、当社で働くためのルールを習得します。その後、各部署のローテーション研修を通じて、当社の事業や仕事について体系的に学びます。
※期間・内容は年度によって変更する可能性があります
OJT研修
配属後はOJT研修(実務研修)を実施します。
1年目は他者と協力関係を築き、自立的に活躍できる力を身につけることが目標です。先輩の下、徐々に責任ある仕事を任されながら業務プロセスを学んでいきます。求められる知識とスキルに終着点はありませんので、業務経験を重ねるだけではなく、主体的に学び、常に考え続けることで成長スピードは加速します。
階層別研修
年に一度、その年のテーマに応じた研修を実施しています。階層別研修では、各階層において期待される役割を理解し、必要なスキルを学びます。
部署や年代を超えて様々な社員が集まりますので、情報交換や社員間の連携を深める良い機会にもなっています。
オンリーワンのキャリア
オンリーワンのキャリアがあります。
一つの職種を極める、
エンターテインメントのゼネラリストを目指す、
ライフイベントを機に新たなキャリアに挑戦する・・・
10人10色の「これまで・いま・これから」を
ご紹介します。
育児をしながらタレントをスターにする!
そして働きやすい環境を作れる
管理職を目指す ♯理系出身♯マネージメント♯映像♯異動♯育児 マネージメント第二事業本部 | 2004年入社
2004年 入社
就職活動のとき、大学の理学部化学科で学んだことよりも、好きなことを仕事にと考えました。それがエンタメの世界です。入社試験時の志望部署は映像事業本部。当時大好きだったバラエティ番組をホリプロが作っていたのがきっかけでした。
2006〜
マネージメント部門から
映像制作の現場へ
入社当初配属されたのは、マネージメント部門でした。すべてが初めての経験でしたが、元気と体力を武器に必死に向き合い、社会人としての基礎を身に付けました。翌年は映像事業本部のバラエティ部門へ異動。希望叶ってのバラエティ制作、想像をはるかに超えた目が回る忙しい日々を送っていました。そして2006年にドラマ部門に配属。同じ番組制作でもバラエティとは異なり、ドラマのAPとして脚本作り、キャスティング、現場、編集に関わり、作品のエンドロールに自分の名前が流れたときの感動と嬉しさは忘れられません。
2007〜
再びマネージャーに。
2017年、
ホリプロタレントスカウト
キャラバン実行委員長へ
映像事業本部から、マネージメント第二事業本部への異動を聞いたときは、正直「もっとやりたかった」と心残りもありましたが、制作を経験したからこその自信がありました。マネージメント部門に異動してから10年で、仰せつかった大役がホリプロタレントスカウトキャラバンの実行委員長です。プロジェクト開始から決選大会まで約10ヶ月。これまでの人生で、最も忙しく頭を使った期間でした。私がやりたいことをすべて受け入れてくれた上司と実行委員、関係者の皆様への感謝は一生忘れることはありません。
マネージメント業務において、タレントの特性が輝き、それが形になった時やこれまでと違うアプローチから成功した時は言葉では表せられない喜びを感じます。タレントと一緒になって創り上げたコンテンツは財産です。担当が代わっても営業をしたり出演番組などは欠かさずチェックしますね。
2018〜
出産後も
第一線のマネージャーとして
約1年の産休・育休を経て、時短勤務でマネージャー職に復帰しました。出産前のようにバリバリと働きたいという思いはありましたが、育児との両立はそう簡単ではなく、できないこともあります。現在担当するタレントは3人、だいぶ後輩に助けてもらいながら、それぞれの役割をきちんと決めて業務を遂行しています。私が模索しながらも育児とマネージャーを両立することで、「時短でもできる!」という光明になればという思いです。
NEXT
タレントをスターにする!
そして働きやすい環境を
作れる管理職を目指す
私のこれからの目標は、タレントをスターにすることとどんな境遇の人でも働きやすい環境づくりができる管理職になること。ホリプロは若い社員が活躍できる環境は整っていると思います。思い切ってチャレンジして欲しいですし、そして成功した先にある仕事の楽しさをたくさん味わってほしいですね。そういう環境を作ることが私たち世代の使命だと思います。コロナで働き方がガラッと変わりました。環境に合った働き方があるからこそ、思ってもいないことが生まれるチャンスがあるのではと模索しています。まだまだこれからが楽しみです。
これからも高みを目指す ♯管理職♯マネージメント♯契約社員スタート♯スカウト マネージメント第一事業本部 | 2005年入社
2005年 入社
エンタメ業界に興味を持ったきっかけは中学時代の深夜ラジオでした。その中で聞いたエンタメ業界の裏話から、プロデューサーやディレクター、マネージャーなどの役割があることを知り、身近な存在に感じるようになりました。ちょうどその頃出会ったのが「ホリプロの法則」という書籍です。この本でホリプロ、そしてマネージャー職に興味を持ち始めました。それからは情報収集に励み、エキストラ登録をしたり放送系のサークルに入ったりと、マネージャー職に向けて一直線です。残念ながら春採用では残り60人のところで落ちてしまいましたが、秋採用で契約社員として働けることになりました。
2005〜
修行期間と独り立ち
入社後の3年間は修行期間でした。上司とともに、主演クラスのメジャータレントを担当し、現場での仕切りや業界の基礎を学びました。4年目からは独り立ちし、タレントの戦略を描いたり、営業をしたりして、仕事をとれた時の喜びは今でも忘れません。
5年目以降は結果が付いてきて仕事が楽しくなった頃です。入社当初は難しく感じていたプライベートと仕事の折り合いもつけられるようになりました。
2017〜
ぶち当たった壁、
かつての想いが
ブレイクスルーの支えに
独り立ちしてから7、8年が経過した頃、壁にぶち当たり、迷うようになりました。ホリプロである程度の経験を積めば、マネージメントは誰しも無難に回せるようになります。でもそれだけではステップアップはできない。もどかしさから自暴自棄になったり手を抜いたりしたこともあります。けれども、同期の頑張りや後輩の突き上げに刺激を受けて奮い立ちました。また、マネージャーに早くから憧れ、目指した蓄積は誰にも負けない自負がありました。それらがバネとなり、基本に忠実に、できることをコツコツと継続した結果、いつしか暗いトンネルを抜け、光が差してきたように思います。
2018〜
SNSでのスカウトを開始。
原石を探し続ける
自分の興味、新たな挑戦、会社への利益を突き詰めたらスカウト活動強化の重要性にたどり着きました。今となっては一つの主流になった手法ですが、2018年頃からSNSでのスカウトを積極的に行っています。SNSから30人程にアプローチし、オーディションに参加してもらえた年もあります。そのうち3名は今も当社に所属して活動中です。新人でもベテランでも、本心からエンタメの仕事やホリプロの魅力を理解してもらい、所属に至ったときの喜びはとても大きいです。お預かりしたタレントに対する責任は重大ですが、芸能プロダクションはタレントがあってこそ。この原点を肝に銘じて、原石を見つける重要性を若い世代にも伝えていきたいと思います。
NEXT
管理職として、
挑戦を続けられる環境を
構築したい
私自身は、中学の頃から憧れだったマネージャー職のスキルをこれからも突き詰めていきたいですね。そのためにはタレントが活躍できるエンタメへの見識を深め、タレントの個性を活かした作品の企画立案などをしていきたいです。一方で芸能プロダクションとして進化し続けるために、やはりスカウト活動の強化に力をいれたいです。そのためには部下の育成、そして外部との連携が欠かせません。従来のオーディション型に限らず、時代に合わせて原石を見つける方法を模索し、積極的な挑戦を続けられる環境の構築に取り組んでいきたいです。
管理職として。
ホリプロを未来に繋ぐために ♯映像制作♯プロデューサー♯二児の母♯好きを仕事に 映像事業本部 | 2006年入社
2006年 入社
もともとドラマや映画が好きで、映像制作に関わりたいと考えてホリプロを志望しました。
2008〜
何もかもが新鮮で
夢中で駆け抜けたAP時代
初めてのドラマの現場は刺激的でしたが、右も左もわからない私にとっては精神的にも肉体的にも大変なものでした。それでもそのドラマのクランクアップで10代の主演女優が泣きながらコメントをするのを見たときに、私自身ももらい泣きをしてしまいました。仕事で泣ける瞬間があるって幸せだなと思います。作品ごとに新たな出会いと別れを繰り返し、経験を積みました。
2012〜
プロデューサーの
やりがいと喜び
プロデューサーデビューは入社7年目でした。「自分の企画が通ったからプロデューサーデビュー」といった華々しいものではなく、先輩が通した複数企画の制作期間が重なったことから、代わりに担当させていただいたという理由です。AP時代からキャスティングや予算を任せてもらっていましたので、業務内容が突然変化したわけではありませんが、現場の責任者としてトラブルへの対処や調整など多くのことを決断していくことの難しさを感じました。それでもキャスティングやスタッフィングがハマったとき、良い反響があった時の喜びは何にも代えがたいものがあります。
2015〜
出産と復帰、
そして現場との両立
2013年に第一子を出産して、育児休業を取得してから現場に復帰。子育てしながら働く自分がまったくイメージできていませんでしたが、復帰後も配置転換することなくプロデューサーとして働くことになりました。けれども今までのやり方では圧倒的に時間が足りません。そこで工夫したのは、優先順位をはっきりさせて効率的に時間を使うこと。そして周りに頼ること。人に頼ることが苦手でなんでも自分でやろうとする性格なのですが、後輩に任せる部分は任せ、何かあったとしても対応できるように準備と段取りをしっかりしておくことで勤務時間の短さをカバーしています。帰宅してからも業務連絡はありますが、隙間時間で返信もできる。育児と仕事の両立は今も模索中ですが、第二子も出産し、今に至ります。出産に限らず様々な事情があると思うので、環境に合わせて取り組み方を模索していけばよいと感じています。現在は副部長として部下の働き方を考えなければいけない立場。この経験を糧に制作現場の労働環境を整えていきたいと思っています。
NEXT
権利を得て
利益を積み重ねる
体制への変革を
個人的な目標は代表作といえるような作品を作ることです。
ですが、事業の今後を見据えるとそれだけでは足りないと感じています。私たちは制作することはできてもプラットフォームを持っていません。今後は良質なコンテンツを制作するだけでなく、その権利をホールドすることが重要です。そのためには魅力的な企画を多く生み出さなければなりませんし、マネージメント部門とのタッグや出資など様々なことにチャレンジしていくことが必要だと考えています。
変化を楽しみキャリアを繋げる ♯舞台制作♯二児の母♯マーケティング♯時短勤務 公演事業本部 | 2009年入社
2009年 入社
学生時代の私の趣味は舞台と女性アイドルでした。当時は今ほどメジャーな趣味ではなく、よく「なんで好きなの?」と質問されました。そのたびに舞台や女性アイドルの魅力を力説していたところ、私は「自分が好きなモノを人に紹介すること」に面白みを感じていることに気付いたのです。そこから就職活動ではマスコミ業界を目指し、よく観ていた舞台の制作や俳優のマネジメント、映像制作などあらゆるジャンルを広く手掛けるホリプロの業務にも興味を持ち、志望しました。
2009〜
1年目で叶えた夢と
めまぐるしい日々、
制作からプロデューサーへ
舞台制作の仕事を始めてまもなく、2カ国の海外公演を含む作品を担当しました。プロデューサー1人、制作の先輩が1人、そして私の3人のチームです。社会人としても、制作スタッフとしても右も左もわからない状態でのビッグプロジェクトに目が回るよう。それでも作品のプログラムに名前をクレジットしてもらえた喜びはひとしおでした。小さな夢が叶った瞬間です。そこから様々な舞台制作に関わりました。中でも脚本から音楽までゼロから作り上げるオリジナル作品の担当に付かせてもらった時は、ものづくりの現場の熱量をダイレクトに感じ、かけがえのない経験になりました。5年目にはプロデューサーを任されるようになり、当時は仕事が生活のほとんどを占めていたと思います。
2017〜
2度の産休・育休、
分断されずに
繋がったキャリア
2011年に24才で結婚して2017年29才、2019年31才にそれぞれ出産しました。長子のときは、産休直前まで制作の現場で働きました。育児休暇の復職後は6時間の時短勤務。これまでと同じ働き方、仕事はできません。そこで当時の部長に任せてもらったのは、これから力を入れていきたいというWEB関連の業務。上司と働き方を相談しながら、育児と仕事の両立を目指しました。
2020〜
デジタルマーケティング
を任されて
2度目の復職後に新たに任されるようになったのが、デジタルマーケティングです。WEB分野に加えて、“ホリプロステージ”のブランドリフトと売上を増加させるための施策を実施するのが当社のデジタルマーケティングの役割。これまで部内では実績のない仕事ですので、やりがいがありますし、未知の分野を学べる醍醐味もあります。新たなキャリアが動き出した感覚です。
NEXT
マーケティングを極めて
売上アップに貢献できる
施策を打ちたい
近い将来の目標は当社のチケット販売数のアップです。お届けする舞台の質には絶対的な自信がありますので、その魅力を広め1人でも多くのお客様に劇場へ足を運んでいただくためのレールを作ることが私たちの仕事です。WEBやマーケティングの分野は未経験でしたが、これまでの全ての経験が活きていると実感でき、充実しています。
次世代のタレントへ ♯マネージメント♯新人時代の苦労♯タレントから学ぶ♯石の上にも三年 マネージメント第二事業本部 | 2013年入社
2013年 入社
バンド活動にサークル活動、大学での勉強にアルバイト。大学生活を縦横無尽に満喫していた私の就活への意識は低いものでした。もともと自分なりの歴史観を構築したいと選んだ専攻だったこともあり、卒論には我ながら熱心に取り組み、就職活動のメイン路線からは遠ざかります。そして卒論完成の目処がたったころに、将来について考え始めたものの、すでに友人らには内々定が出始めた頃でした。文章を読むことや書くことが好きだったので出版社に就職したいと考えましたが、入念に準備して臨んでいるライバルたちに当然敵うわけもなく、お祈りメールを頂く毎日。そこで視野を広げてみたときに、マネージャー職を知ります。作家と編集者の関係性にも通じるマネージャーとタレントという間柄。もともとバンド活動に精を出していたこともあり、裏方で支えるポジションは自分に向いているのではないかと思い、応募しました。
2013〜
現場で鍛えた鋼のメンタル
入社から3年はとにかく叱られていた記憶ばかりです。担当したタレントがかなり忙しい時期だったこともあり、タレント本人もスタッフも全員が極限状態の中での仕事。仕事をナメていた私を鍛えてくれたのはこのときのタレントです。今思い返せば、叱られて当然のことばかりしていました。失敗を繰り返し、時折考えて動けば裏目に出てしまいます。毎日しんどかったし、辞めたいとも思っていました。そんな私を引き止めてくれたのは、「叱られた時間が無駄になる」という打算と、榊原郁恵さんの就活生向けの動画です。「とりあえず3年は頑張って」というメッセージだったのですが、辛くなる度に何故だか思い出されて、踏んばれました。
2016〜
裁量が増え、
タレントと
正面から向き合うように
マネージメント第一事業本部から第二事業本部に異動になったタイミングで、任される仕事の裁量が少しだけ増えます。責任感を与えようという上司の考えから、スケジュール管理や仕事の獲得を含めたタレントマネージメントの一切合切を任されました。もちろん重要な局面では上長に相談しますが、基本的には自分で判断しなければなりません。これが転機となり、タレントと正面から向き合わなければと思いました。幾度も交渉を重ねて番組出演を勝ち取ったときに担当タレントから「取ってきてくれてありがとう」と言われ、「この仕事をやってきてよかった」と心底思えました。榊原郁恵さんが言っていたように、辞めずに頑張ってよかったなと思います。入社3年の叱責の日々も無駄ではなかったと思えました。あの頃に培った鈍感力のおかげで、大抵のことでは動じなくなりました。
2018〜
タレントの人生を預かる
実感と責任
さらに私に転機が訪れたのはスタッフとして参画したホリプロタレントスカウトキャラバンです。その時のオーディションで採用したタレントを担当することになり、「この子達の人生は自分が背負っているんだ」と実感しました。今手を離したら、この子達は崖から落とされるようなものだなと。何が何でも売らなきゃいけないと痛感しました。これを機に自分の中でのマネージメントへの向き合い方が大きく変わったと思います。マネージャー業の面白さを感じられるようにもなり、結果を残したいと強く感じるようになりました。
NEXT
攻撃力を身につけて
スターを育てたい
マネージャーとしての究極の目標はタレントをスターにすること。そのために私に足りない部分は攻撃力だと考えています。営業活動を強化しなければ、タレントの活躍の場は増えません。そこで注力しているのが、私ならではの強みの構築。「君は○○に強いよね」と言われるような武器を作ろうとしている最中です。そしてテレビ局まわりだけでなく、ウェブメディアやSNSといった新しい分野の開拓にも遅まきながら動き始めました。既存の方法に囚われず、柔軟な発想力で広い視野を持ちながら、スターを育てる土壌を作りたいと思います。
学びを舞台制作に活かす ♯マネージメント♯舞台制作♯希望とは異なる配属♯好きを仕事に 公演事業本部 | 2015年入社
2015年 入社
学生時代から舞台が好きで演劇サークルに所属していた私は、仕事として舞台に関わるか、はたまた大学の専攻である金融に進むか悩んでいました。最終的に選んだのは生き甲斐のある人生を歩む道、つまり「好き」を仕事にする道です。ホリプロはストレートプレイやミュージカル、古典から新作まで、多岐に渡る舞台作品に取り組んでいる点に惹かれました。
2015〜
スタートダッシュは
マネージメントから
舞台制作を行う公演事業本部を希望していたものの、配属されたのは俳優のマネージメント部門でした。ガッカリしなかったといえば嘘になりますが、俳優のマネージメント部門への配属は会社側の優しさと激励の意と勝手ながら感じました。また、このときのマネージメント経験がその後のキャリアに良い影響をもたらしました。舞台作品に関わることが、俳優にとってどのような意味を持ち、価値となるのかを身を持って経験できました。
2018〜
念願の公演事業本部で
経験を積む
4年目で公演事業本部に異動し、制作スタッフとしてプロデューサーのもとで舞台作りに携わることになりました。制作スタッフはキャスティングや、キャストへの連絡、食事の手配や取材や番宣などの宣伝取り込み、精算などなど様々な業務を担当します。マネージメント業務に従事していたおかげで、キャストへのきめ細かな配慮をするための土台ができていたことは非常にありがたかったです。マネージメントの仕組みや気に掛けるべきことを制作側が把握しておくことで、現場が円滑に進みます。
2019〜
業務の範囲が広がり、
ひしひしと感じる達成感。
とうとうプロデューサーに。
異動後しばらくはプロデューサーに相談をしたり、指示を仰いだりしていましたが、徐々に判断を一任されるケースが増えてきました。私自身の判断や交渉で舞台の完成度や方向性、お客様の集客度、満足度が変化することを肌身で感じ、やりがいを覚えています。そして、2022年の上演作品では、初めてプロデュースを担当します。これまではサポート業がメインでしたが、プロデューサーは自分で決断を下さなければなりません。できることが増えてやり甲斐を感じる反面、業務量の多さに苦戦することもあります。問題に直面したときは頼りになる諸先輩方のお力を借りながら解決しています。また、ホリプロには様々な部署があるため、各事業に関連する専門的な話を聞きたいときは、フロアを移動すればそこで話を聞けます。課題解決が早く、新たな気付きや発想が生まれやすい環境なのはホリプロならではだと思います。
NEXT
海を越える企画を
創り出すために
長期的な目標は『デスノート THE MUSICAL』のような海外でも上演されるような舞台を、私の手で企画することです。今はそのために経験を重ねている最中だと思っています。憧れている多くの先輩達に追いつくべく、先輩の仕事ぶりを真似ながら自分なりのやり方を構築していきたいです。
総合エンタメ企業だからこそ
積めるキャリア ♯音楽♯マネージャー♯想定外の配属♯経験を活かす マネージメント第一事業本部 | 2015年入社
2015年 入社
芸能人や映像、舞台などのエンタメ全般が好きで、「好きなことを仕事にしたい」とテレビ局や映画会社などのエンタメに関わる企業を大手と呼ばれているようなところから順に受けていました。その中で最初に内定が出たのが、ホリプロです。ホリプロで就活を辞めた理由は、ホリプロにはエンタメに関するあらゆる職種が揃っていることにあります。この時点では、映像、広告、舞台、マネージメント、どれが私に適性があるのか、やりたいのかを自分でもわかっていなかったんです。「入ってから向いている職種を見つければいい」と思えたのがホリプロでした。
2015〜
予想外の配属と
想像以上の熱中
入社時点で私が希望していたのはマネージメントでした。ところが配属されたのは音楽事業本部。選考当初から音楽についてアピールしたことはありませんでした。だから、音楽事業本部への配属はまったくの想定外です。どうしてよいか分からず、途方に暮れていましたが、そこで私を救ってくれたのは当時の上司でした。音楽の知識がない私に対しても信頼して多くのことを任せてくれましたし、自由に仕事をさせてくれました。おかげで音楽事業本部での仕事に意義を見出せるようになりました。担当したバンドに心から惹かれたことも大きかったです。最初はバンドのメンバーと信頼関係を築けていないのではないかと不安でしたが、徐々に私に意見を求めてくれるようになったり、その意見を反映してくれるようになったりして、お互いの関係の変化を感じたときの喜びは今でも忘れられません。最初はやっていけるか不安を感じていた音楽事業本部の仕事ですが、気付けば夢中になっていました。どんどんやれることが増えて、異動は考えられないほどに音楽事業本部の仕事にどっぷりはまっていました。
2017〜
異動に涙し、
マネージメント業務に
前向きに
入社してから3年で、当初の希望だったマネージメント事業本部に異動になりました。音楽事業本部の仕事にやりがいを覚えていた私は、「今はまだ異動したくないです」と大泣きしたくらいです。同じマネージメント業務でも音楽事業本部とマネージメント事業本部のシステムの違いに戸惑い、1年間は必死でした。ですが異動したおかげで「場所を問わずやれることはあること」に気付けました。視野も広がり、できることの幅も広がったと感じています。
2021〜
経験を積み、
自分自身と仕事に向き合う
現在の私が担当するタレントは年代、性別、活動ジャンルの違う4人です。これまで増やしてきた人脈が仕事に繋がることもあれば、実らず悔しい思いをすることもあります。4人のそれぞれの目標はまだ達成できていませんし、やりたいことが100%できているわけでもない。あと3年で入社10年になります。10年はフェーズが変わるとき。年齢相応のキャリア、経験に追いつこうと必死な毎日です。
NEXT
やりたいことを
実現するために
マネージメント部門に異動して5年目、任される範囲が年々広くなってきました。担当タレントの人生を背負っている責任感が日に日に増しています。私に関わったタレントが幸せになれるように全力で“プラスアルファ”の仕事をし続けたいと思っています。やりたいことを実現するためには、必然的にそれに伴う役職と責任が必要です。役職を得るためには実績が必要。ホリプロには、実力があれば性別を問わず上を目指せる土壌が整っています。「やりたいことをやれる環境を手に入れる努力を続ける」、これが今の私のモットーです。
今がある ♯マネージメント♯契約社員スタート♯スポーツ♯アスリートの価値 スポーツ文化事業本部 | 2015年入社
2015年 入社
プロ野球選手になることを目指し、大学の部活を引退するまで野球漬けの日々を送っていました。夢叶わず、仕事として興味を持ったのがアスリートのマネージメントでした。日本や世界のトップレベルの野球選手、他の競技のアスリートのマネージメントをしたいと思ったんです。そんな中ご縁があり、ホリプロに契約社員として入社し、スポーツ文化部で働くことになりました。野球に打ち込んだ経験も活かせるのではないかと考えていました。
2015〜
目の前の仕事に
真摯に向き合う
入社直後は先輩の下でマネージメント業務のいろはを学び、一年目の後半に新しく所属した3人のアスリートを担当させていただくことになりました。野球選手1名とプロボクサー2名です。野球の知見はありましたが、ボクシングは経験のない未知の世界。自分の知らない分野、競技を理解する作業は大変で、上司のサポートを受けながら必死に業務を遂行しました。たとえ知らない分野でもその団体のスタッフの方やアスリートと話や交渉をしなければいけませんから。社会人として、マネージャーとしての責任感を強く持つきっかけとなった経験でした。
2018〜
正社員登用、
アスリートの価値と
マネージャーの役割
入社して3年が経過した2018年、正社員登用試験に合格しました。経験が積み重なり、アスリートの価値や、マネージャーがアスリートに果たすべき役割について、自分なりの軸が明確になってきた時期です。アスリートによってキャリアやステージは様々で、オンリーワンの価値が存在します。一人ひとりの価値を最大化するためにマネージャーだからこそできることを、日々問い続けています。
NEXT
アスリートと共に
ホリプロを
ワールドワイドな会社に
今の目標は、現役アスリート・元アスリートともに、それぞれの価値を1段も2段も引き上げていくこと。そして、ホリプロがよりワールドワイドな会社としてアスリートのサポートをできるよう、上司や先輩、後輩と協力してチームマネージメントを行い、その中で自分自身も成長していきたいです。
その想いを胸に一歩ずつ進む ♯マネージメント♯映像制作♯お笑い好き♯夢に全力 映像事業本部 | 2017年入社
2017年 入社
芸能人のマネージメントに憧れてホリプロに入ろうと考えました。また、お笑いが好きで、いつかホリプロの大阪支社を地元の大阪に作りたいとも夢見ていました。
2017〜
スタータレントの側で
社会人と
マネージャーの基礎を学ぶ
1年目で配属されたのは、当初の希望通りマネージメント事業本部でした。スタータレントの担当をさせていただき、マネージャーとしての基礎だけでなく、社会人としての基礎も学ぶ貴重な経験だったと感じています。憧れの芸能人にもたくさん会えました(笑)。業界独特のルールや社会人のマナーをインストールすることは大変でしたが、マネージャーの経験は今も私の土台になっています。
2019〜
上司と仲間との繋がりで、
ハードなAD業務を
乗り越える
3年目で映像事業本部に異動し、主にバラエティ番組を担当することになりました。AD業務はしんどいとは聞いていたものの、やはり大変で正直なところ辞めたいと思ったこともありました。覚えることが多く、とにかく業務も多忙です。そんな私をホリプロにつなぎ止めてくれたのは、上司からの期待や仲間の奮闘だったと思います。ただ、苦しさの分だけ成長のスピードも速いように感じます。できることや任される仕事が増えていくとやはり嬉しいですし、やりがいも増します。
2021〜
アシスタント
プロデューサー業務を
任されて、
成長を実感する日々
異動して2年が経ち、アシスタントプロデューサー業務を任されるようになりました。主にキャスティングを担当しています。キャスティングにあたっては、マネージャー時代の経験が大いに役に立っています。制作の立場になり、芸能事務所と向き合うときにタレント、マネージャーの気持ちまで配慮できます。また、この3年でさらにメンタルは鍛えられ、忍耐力、体力がついたなという実感があります。
NEXT
制作として
芸人の育成にも関わりたい
私の本来の目標は芸人の発掘・育成。映像制作の部署だと、この夢は叶わないのではと思ったこともありました。けれども、制作だからこそできることがあると思うようになりました。例えば、新しい番組を作り、世に出ていない才能を発掘することも、制作であれば可能です。目標を叶えるための選択肢を多く持てるのも、ホリプロならではだと思います。
最近は、上司から仕事を任されるだけではなく、テレビ局の局員から直々に仕事のオファーをいただきました。少しずつですが、前進できているようで嬉しいです。目の前の仕事に着実に向き合いながら、夢の実現に向けて邁進していきます。
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